2月2日(水)書くことは、剥くことかもしれない。
自分の本音とかそういった類のものに、
40年かけて玉ねぎように何層にも覆っている皮を、
書くことでゆっくりゆっくりと剥いでいく。
その、剥がれた皮自体にも本音のエキスは入っているし、
そもそも剥いでいった先の中心に本音はないかもしれない。
だけど、書くことで、剥ぐことで、本音を探っている気がする。
おれ、本当にこんなこと思ってたっけ?
書くことに酔って嘘になってない?
誰かに向けて、言いたいことはそんなに、ほとんど、まったく、ない。
だけど書いているのは、1年間書こうと決めたから。
言いたいことがないのに書いているって、本末転倒も甚だしい。
だけど、こうやって、一つひとつ書くことが、剥ぐことになっている気がする。
また誰に言っているかもわからない誰も聞きたくもない一人語りを書いてしまった。